高岡市議会 2015-06-02 平成27年6月定例会(第2日目) 本文
加賀藩が治めていた時期に町民が地域に富を還元して発展させていく文化が形成され、現在でも町並みや産業、伝統行事などに高岡町民の歩みが色濃く残されているというストーリーが認定され、歴史都市高岡をアピールする高岡市にとってうれしい出来事でありました。
加賀藩が治めていた時期に町民が地域に富を還元して発展させていく文化が形成され、現在でも町並みや産業、伝統行事などに高岡町民の歩みが色濃く残されているというストーリーが認定され、歴史都市高岡をアピールする高岡市にとってうれしい出来事でありました。
さらには、高岡町民の努力で文化遺産群が良好に保存され、確実に守り伝えられてきたこと等が世界的に見ても重要な価値を有しているとの御意見をいただいたところでございます。 現在、富山県とコンセプトや資産構成、副題も含めたタイトルなどについて最終的な調整を行っているところでございまして、提案書の内容をさらに充実させ、今月末の提出期限までに文化庁に再提出したいと考えております。
豊臣秀吉が聚楽第に天皇をお迎えしたときに使用された御所車を慶長14年に前田利長公が高岡町民に与えたのが始まりとする御車山は、町衆文化、伝統工芸の粋と言うべきものであります。400年の伝統を受け継ぎ、全国で重要有形、無形両方の文化財指定を受けている曳山は5つしかない。その一つとして文化的価値の高い高岡御車山ですが、その維持、運営にはさまざまな苦労があり、また課題を抱えているのも事実であります。
御車山は、御所車形式に鉾を立てた特殊なものでありまして、高岡町民の心意気と財力に支えられ格式を保ち、高岡の金工、漆工、捺染等のすぐれた工芸技術の装飾が車輪や高欄、長押などに施された日本でも屈指の華やかな山車であります。
御承知のとおり、高岡御車山祭のゆえんは1588年に秀吉が後陽成天皇を聚楽第にお迎えしたもので、秀吉、利家、利長と伝承され、1609年利長が高岡城を築いて入城後この由緒ある車を高岡町民に与えたと言い伝えられているものであります。古文書を見ますと、利長は「山もよく候にて」と書いてあります。本当に当時の山車をこよなく愛し、大切にしていたものと思われます。
高岡御車山は、豊臣秀吉が天正16年4月に、後陽成天皇と正親町上皇を京都聚楽第に御招待したときの山車を、秀吉の旧友であり、老臣であった初代加賀藩主前田利家が拝受し、さらにそれを新しくまちづくりをした高岡町民に与えられたものであります。高岡御車山はまさに桃山期の工芸文化と、日本の古代信仰の形式を備えた風格ある山車であります。